茶太郎倉庫

I’m just an ordinary guy who lives on all the same-sex/gender love stories.

サイヤ人を愛してる

 

本記事は2018年12月31日に投稿した(大晦日に何やってんだ)(「大晦日に狂った長文を書く自由」もある)記事をちょっと修正したアーカイブ記事です。

ごちゃごちゃ書いてますが『ドラゴンボール超ブロリー』の感想をまじえた、サイヤ人に向けたラブレターみたいなものです。その字数、2万字。薄い本にでもすればいいのか?誰かサイヤ人ラブレター合同誌出さない?

 

ドラゴンボール超 ブロリー

ドラゴンボール超 ブロリー

  • 発売日: 2019/06/05
  • メディア: Prime Video
 

 

2020.6.16 茶太郎(twitter:@the_rockson)

何かあればTwitterのDMに送ってくださいませ。通知の関係でリプライは気付けないかも。  

 

 

 

好きすぎる、サイヤ人

 

  

久しぶりにブログを書いた。

 

 

この記事では「ドラゴンボール』の新作映画『ドラゴンボール超(スーパー)ブロリー』でこよなく愛するサイヤ人の“残虐性“が否定されたらどうしよう!!と予告編が公開されたときからずっと悶々としていたが杞憂に終わってうれしいやったーハッピーサイヤ人愛してる!ありがとう映画スタッフ!!!サイヤ人大好き!!!!!」という話をする。

 

 

※当記事には映画『ドラゴンボール超ブロリー』の本編に関するネタバレが含まれています

同じ気持ちになってたドラゴンボールファンは僕と握手してほしい。サイヤ人が好きな人がいっぱいいると嬉しいから。「なんだこの文ふざけんな!」と思ったドラゴンボールファンは……えっと……すみません……。

 

 

 

 

 

 

はじめに・・・サイヤ人とは?

 

サイヤ人とは。

 

鳥山明先生原作のメディアミックス作品『ドラゴンボール』シリーズには、多種多様な架空の宇宙人が登場するが、「サイヤ人」はその中のひとつ。

黒髪で、”サルのような”茶色い毛並みの細長いシッポを持つことが特徴とされている。戦闘能力に長け、戦闘を好み、自らを「戦闘民族(種族)」と呼称する誇り高い種族らしい。

 

そんな彼らの生業は、別の星に出かけていって、いい環境の星を見つけたら武力で制圧して在来の民族を滅ぼし、その星を別の宇宙人に高値で売ること。(この設定は原作当時に社会問題と化していた「地上げ屋」からヒントを得たもの)

 

サイヤ人は出生時点の戦闘能力に応じ「エリート階級」や「(最)下級戦士」に分けられ、生まれたときの戦闘能力が低く「下級戦士」の判定を受けた赤ん坊は宇宙船で戦闘レベルの低い適当な星に送りこまれて制圧を命じられ、星が壊滅したころに迎えがやってくるというシステムが取られている。

 

サイヤ人は彼らの母星である「惑星ベジータ」を拠点に、上記の略奪と殺戮を繰り返していたが、ある時からこれまた別のめっちゃ強い宇宙人・コルド大王の率いる強力な軍事組織である「コルド軍」の配下に置かれることとなり、地上げ業もコルド軍のもとで行われるようになった。(←この辺の詳しい経緯はあまり明らかになっていない)のちにコルドはその座を息子・フリーザに引き渡し、サイヤ人は「フリーザ軍」の地上げ業のいち人員として働かされることとなる。

 

以来サイヤ人フリーザのもとでせっせと働いていたが、上記の経緯や民族全体に共有されている気高い性格から誰一人フリーザに対して真に忠誠心を持っている者はいなかった。

そのことはフリーザも見抜いており、将来的に徒党を組み反逆されることを恐れてある日突然惑星ベジータごと破壊してサイヤ人を滅ぼしてしまう。

戦闘を生業としているため慢性的に少数民族だった彼らはひとたまりもなく、生き残ったのはたまたま他の星の制圧のために母星を離れていた王子・ベジータと、下級戦士であると判断され生まれたばかりでありながら辺境の星・地球に送り込まれていた、『ドラゴンボール』の主人公・カカロット。そしてその他のわずかなサイヤ人のみであった。

 

 

・・・というのがだいたいのメディアで共通して語られているサイヤ人の歴史に関する『ドラゴンボール』の前日譚である。

 

原作であるコミック『ドラゴンボール』では、地球を滅ぼすためにやってきた主人公・カカロットが、地球人との出会いを経て孫悟空という新しい名前をもらって、冒険に出たり武術の修業にいそしんだりと地球人と仲良くしていたら、兄のラディッツが迎えに来てさあ大変・・・カカロットお前なんで星制圧してないんだよ・・・「やはりこの星のやつらは生きていたか・・・カカロットのやつめ・・・」(ラディッツの初登場セリフ)みたいなことになり話が進んでいくのだが、詳しくは本編を参照。俺はやっぱりナメック星編が好きだ。いや、全編好きだ!!

 

 

www.s-manga.net

 

『Z』アニメオリジナルのサイヤ人描写

 

さて、『ドラゴンボール』原作では、ラディッツベジータら生き残ったサイヤ人、また滅ぼした張本人であるフリーザの口から語られるものでしか上記のサイヤ人の歴史や特徴、「サイヤ人がなんたるか」を知ることはできない。回想シーンなどはほぼなく、サイヤ人の惑星ベジータでの暮らしについての直接の描写はなかった。

しかし、アニメ版にはサイヤ人についての数多くのオリジナル描写が存在するのだ。

 

ドラゴンボール』のアニメシリーズ『ドラゴンボールZ』では、原作者である鳥山明先生の一応の監督下でありながら、その内容の多くをアニメスタッフの手によって製作されたオリジナルエピソード、及びオリジナルの劇場版アニメ作品が数多く存在する。原作の連載と並行して制作されていたため、のちのちに原作と矛盾していくオリジナル設定も多く、ファンからはあくまで「アニメ版」として親しまれているが、アニメを飛び出してゲーム作品に登場するオリジナルキャラクターも多く、ファンの間での人気も高い。

 

サイヤ人も例外ではなく、数多くの「アニメオリジナルサイヤ人」が登場する。彼らは惑星ベジータの爆発の生き残りであったり、過去の回想に登場する人物であったりするのだが、アニメオリジナルのサイヤ人描写の代表例にテレビスペシャドラゴンボールZ たったひとりの最終決戦~フリーザに挑んだZ戦士 孫悟空の父~』(1990年放送・この記事を書いた当時はNetflixで配信していたが現在は配信停止中。TSUTAYA TVで視聴可能か。)がある。

 

ドラゴンボールZ たったひとりの最終決戦 フリーザに挑んだZ戦士孫悟空の父 | TSUTAYA TV<ツタヤTV>

 

 『たったひとりの最終決戦』はカカロットの父親・バーダックがアニメオリジナルキャラクターとして登場し、惑星ベジータ爆発寸前にフリーザの思惑に気づき反撃に出ようと奔走する物語なのだが、当時のテレビアニメとしては過激で残酷な描写や悲劇的なストーリー(らしい。僕は他のアニメをよく知らないので…)が強烈に印象的で、現在でも根強い人気を誇っているエピソードである。全人類観てください。

 

この作品やそのほかのサイヤ人に関するアニメオリジナルエピソードでは、サイヤ人の歴史・文化・思想についてのあれそれが原作以上に掘り下げられている(後述)が、どれをとっても主人公のルーツであるサイヤ人が(地球人的価値観からすると)「悪」であることを表現するために、いかに残虐非道で暴力の限りを尽くしまくった民族であったかを強調しまくってくれているのである。原作者の鳥山先生も「これは僕では描けないね」とか言ったとかなんとか。どういう意味?

 

 

サイヤ人最高なんですよ・・・。(共感収集力たったの5)

以前上記のようなことを居酒屋で友達に話して「聞けば聞くほどサイヤ人のことが嫌いになっていく」と言われた。

 

サイヤ人の何がそんなに好きなのかは後述するとして、とりあえずそんなサイヤ人偏愛家にとって近年起こった事件について書いていく。

 

 

 

『マイナス』事件

 

原作ではサイヤ人に関する直接的な描写が無かったと上記に示した。

ところが、事件は『ドラゴンボール連載終了から19年経った2014年に勃発する。

2014年、『ドラゴンボール』原作者である鳥山明先生が自ら執筆した『ドラゴンボール』の前日譚『銀河パトロールジャコ』の単行本が発売。巻末に描き下ろし読み切り漫画としてDRAGONBALL-(マイナス) 放たれた運命の子供』が掲載された。

 

www.s-manga.net

 

『マイナス』では、フリーザによる惑星ベジータの爆破の少し前の出来事が鳥山先生によって初めて描かれた。フリーザが各地に遠征に出ていたサイヤ人をまとめて滅ぼすために惑星ベジータに緊急招集するが、フリーザの行動を不審に思ったバーダックが息子・カカロットを宇宙船に乗せて安全な地球に「避難させる」というもの。カカロットが地球に送り込まれたのは地球を滅ぼすためであったという原作でのラディッツの説明とは随分と異なる事情であったことが明かされたのである。

 

このバーダックの行動が衝撃的だった。彼のオリジナル出演作である『たったひとりの最終決戦』では、バーダックが生まれたてのカカロットを目にした途端「戦闘力たったの2・・・クズが!」と吐き捨てその場から走り去るという、『マイナス』での行動と対照的なシーンがある。

 

「クズが!」すごい。サイヤ人には家族関係による愛情なんてものは存在せず、ただ個人の戦闘力が全てであるといった“戦闘能力至上主義“、もしくは民族の繁栄にとって役に立つ者だけが尊重される“民族主義“ともいえるものがあるのみ、そんな倫理観を象徴するようなシーンだった(僕の見解です)のだが、『マイナス』でその冷血さはなりを潜めるどころか、遠征から帰宅して真っ先に妻に会いに行くシーンまである。ギネさんはかわいい。

家族愛なんてものがあるんですか・・・?「あの」戦闘民族サイヤ人に・・・?しかもその「サイヤ人代表」みたいな扱いだったバーダックに・・・?という驚愕。ベジータが「地球で家族を持ってしまった自分」と「誇り高いサイヤ人としての自分」との矛盾に苦しんでバビディに魂売ってデコにMマーク付けたのは何だったんだ。サイヤ人との家族ならいいのか。王子としてなんかそういう「誇り高くあれ」みたいな教育を受けてたとかか。

とにかく、今までの「とことんまで残虐なサイヤ人像」が所詮アニメオリジナルのイメージに過ぎず、鳥山先生の中ではサイヤ人も案外温かい血が流れているのかもしれないという可能性を示した衝撃的な作品だった。

 

(それまでにも温厚なサイヤ人として鳥山先生考案のターブルいうキャラクターが原作終了後にアニメ作品に登場していたが、彼は特異なサイヤ人だった・彼の父親に戦闘に不向きであることを理由に追放を受けていた等の説明がなされていたのでそこまでの衝撃はなかった。オリジナル版バーダックサイヤ人の残虐性を象徴するキャラクターのひとりだったことがこの衝撃の一番の理由である)

(また、『燃え尽きろ!!熱戦・烈戦・超激戦』に登場するパラガスも息子ブロリーの命を救うためにサイヤ人の王ベジータにたて突くシーンがあるし、やはり『たったひとり』で「クズが!」発言をしたバーダックが正反対の行動を行ったことがが個人的に衝撃だったんだな・・・と今にしては思う。サイヤ人の親子に愛が存在するのか?については後述。)

  

とにかく、今まで愛していた「冷酷なサイヤ人像」に「あたたかい家族愛」という揺らぎが与えられ、僕は心底動揺した。心底。

ただ、最近の鳥山先生の作風から残虐非道な殺戮民族!!な描写が出てくるのも難しい気はしていたし、まあ書き下ろしの単発エピソードだし・・・と彼らを「『マイナス』版のサイヤ人」としてなんとかして受け入れたのであった。というか頭の片隅に追いやって忘れようとした。本当にすみません・・・。(「後発の作品を受け入れない自由」もある)

 

 

しかし事件はこれだけでは終わってくれなかったのである。

 

 

『超ブロリー』の予告編公開

 

2017年暮れに、ドラゴンボールの新作映画が公開されることが発表された。ドラゴンボール超(スーパー)ブロリー(2018)である。

今作は、原作者である鳥山明先生が連載終了後18年目にして初めてドラゴンボールのアニメーション作品製作に全面的に関わり劇場公開された『ドラゴンボールZ 神と神』(2013)、その次回作となる『ドラゴンボールZ 復活の「F」』(2015)に続く、”鳥山先生が監修した劇場版ドラゴンボール”の三作目となる。(『ドラゴンボール』シリーズの劇場版作品としては20作目)

原作連載と同時期に制作されていたアニメの劇場版作品『ドラゴンボールZ 燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦』にて初登場し、後に他の劇場版二作品にも再び登場したアニメオリジナルの超・人気サイヤ人ブロリー」を鳥山先生を本格的に交えた今作でリメイクして改めて登場させるという内容で、『Z』シリーズオリジナルのブロリーは完全になかったことになっており、ブロリーのキャラクター設定もオリジナルから若干変わっている。

 

そして(重要)、ブロリーを登場させるにあたり、ブロリーの生い立ちを説明するがてら消滅前の惑星ベジータの様子が描かれることが予告編で明らかになったのである!予告編では先ほど説明した『マイナス』の”バーダックカカロットの身を案じてほかの星に逃がす”シーンもガッチリバッチリ使われていた。つまり『超ブロリー』で描かれるサイヤ人像は『マイナス』の世界観の、あの家族愛らしきものを持ったサイヤ人であるということ。鳥山先生が脚本書いて監修してるから当たり前なんですけど。

 

大事件だ!!!!!!!「情がありそうなサイヤ人」が単行本の一番後ろに載ってる描き下ろしの設定どころではなくなってしまった。全国の劇場に公開されて以後のサイヤ人観(?)に大きな影響を与えること間違いなし。サイヤ人やっぱり優しかったんじゃん!いい人じゃん!みたいな。そうなってしまったらもうサイヤ人が愛せないかもしれない・・・もうこれはかつてのサイヤ人じゃない、次世代向けのサイヤ人なんだ・・・仕方ないんだ・・・と予告編を見た瞬間半ばあきらめつつも、ドンヨリした気持ちに陥った。心底めんどくさいオタクである。

 

ブロリーの性格についても予告編では、あるキャラクターの「あいつは戦いたくて戦ってるんじゃない!」というセリフが流れる。なお、オリジナルの『燃え尽きろ!!』でのブロリーは「フハハハハ!!」とか高笑いしながら、故郷から離れ別の星に連れてこられて奴隷としてこき使われている民族たちの目の前でその故郷を爆破したりするぞ。悪魔だぁ・・・。(by悟飯)つまり全然ちがうのである!!オリジナルとはうってかわって「心優しきサイヤ人」として描かれたキャラクターなのだ。サイヤ人に優しさとかあるんですか?!?!!それもオリジナル版で「サイヤ人そのもの」(パラガス談)とまで表現されているブロリーに!?!?!?!?(予告編を観たときの感想)

 

 

何十年と続く息の長いコンテンツが時間の経過や世の価値観の変遷に伴って変わっていくのはほとんど不可避のことだ。多くの人が関わる作品ならばそれはなおさらのこと。そういった変化はコンテンツの持続にも繋がり、コンテンツにとっても社会にとっても喜ばしいことである場合だって数多くある。たとえば、実在するマイノリティを差別的に取り扱うことを良しとしてきた作品が、後発の作品においてその差別的な取り扱いを是正することは、マイノリティの人権保護の観点から作品に積極的に要求されることですらある、と僕は考える。

 

そういう理屈を頭では理解しつつも、ずっと描かれ続けてきた愛するサイヤ人像が過去のものとなってしまうのが無性に寂しく。後述するようにそのサイヤ人像は過去の作品中ではずっと「悪」として描かれてきたので、今更それを変更する意味も分からず。

 

悶々としながら『超ブロリー』の公開した次の日に映画館に向かった。え?次の日に?・・・試写会での評判が良かったのもあって「サイヤ人観」の変更(と思われたもの)を不満に思いながらもなんやかんや期待していたのだ。心底めんどくさい。マジでこのオタク心底めんどくさい。

 

 

 

原作・アニオリのサイヤ人を愛してるんだ

して、サイヤ人の何がそんなに好きなんだ、お前は?

 

 

この章では今までのサイヤ人の一体どこが僕はそんなに好きなのか?というかなり個人的な話をします。ここまで、以上に。です。前提として、以下の文章は『ドラゴンボール』原作と、アニメ『ドラゴンボールZ』シリーズで原作とは独立して繰り返し描写される「サイヤ人像」を観る中で僕の中で出来上がった”サイヤ人に対する主観的なイメージ”をもとに書いていくので、明確な根拠を付与できていない可能性があるのですが、サイヤ人に対する個人的なラブレターなので、ご容赦ください。つまりオタクの叫び。あと『ドラゴンボール』のゲーム作品は『ドラゴンボール改 サイヤ人来襲』と『ドラゴンボールレジェンズ』しかやってないので、ゲームオリジナルのサイヤ人描写については『レジェンズ』以外割愛します。

 

アニメオリジナル描写については、だいたいの目安ですが

あたりの内容を踏まえています。

 

ちなみに『ドラゴンボールZ』全話とドラゴンボールの劇場版作品19作、アマゾンプライムで見放題です。上記劇場版と『たったひとりの最終決戦』(こっちはプライムにはない模様。なぜ!)はぜひ全人類に観てほしい。

 

劇場版 ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦 Prime Video

劇場版 ドラゴンボールZ 燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦 Prime Video

 

 

 

ええい。長ったらしい前置きだ。いっちょいくぜ。この章が書きたくてこの記事書き始めたんだからな・・・(サイヤ人のストーカーなので・・・)

 

  

サイヤ人の残虐性はどこから?

サイヤ人。とにかく残虐で極悪非道で戦闘と殺戮を楽しむ民族。らしい。

ブロリーバーダックに”情”を見出しがちな近年の傾向だが、果たしてサイヤ人に”情”はあるのか?ということが重要なテーマである。(僕の人生の)

 

この記事を書くにあたって上記にもある『よみがえるサイヤ人伝説!悟空のルーツ』(Zの第40話)を改めて観た。界王様が、自らのルーツであるサイヤ人のことをよく知らない孫悟空カカロット)に、「サイヤ人はいったいどういう民族であったか」を教えてくれる回だ。サイヤ人の説明が始まると同時に挿入歌でサイヤ人のテーマソングともいうべき『修羅色の戦士』が流れるが、この歌詞がなかなかサイヤ人らしさ全開で最高である。

 

https://www.uta-net.com/song/100236/

茅弘二「修羅色の戦士」/ 歌詞検索サービス「歌ネット」 ‬)

 

サイヤ人が「戦闘オタク」だとか「戦闘狂」だとか言われるシーンは原作にもある。地球で育ったカカロット孫悟空)ですら世界の存亡よりも戦いを楽しむことを優先し、とにかく”敵との一対一の勝負”にこだわるので「これだからサイヤ人は・・・」「サイヤ人の血なのか・・・」とか言われている。やたらと彼の種族的ルーツにその原因を求めるのはなぜ?笑

 

すなわち、「戦闘を好む気質はサイヤ人に生来的に備わっている」という設定が原作ですら少なからず意識されているということだ。地球人を含むほかの種族の人々には「異常」にうつるほどの性質が。

サイヤ人そのものがフィクションの宇宙人なので今でもギリギリセーフという感じではある。現実で「あの人はルーツがホニャララ人なので戦闘狂」とか言ったら絶対ダメです。 

 

しかし、地球で地球人によって育てられ地球人から教育を受けたカカロットは、兄であるラディッツサイヤ人の生業は「先住民を滅ぼしてその星をべつの民族に高く売ることである」ということを聞かされ、サイヤ人に対して激しい嫌悪感をあらわにする。地球でつちかわれたカカロットの倫理観はサイヤ人のそれとは対立関係にあるのだ。

サイヤ人の倫理には、「他者の生命を尊重し、殺生を行わない」という発想はない。目的の達成のためならば殺生をむしろ積極的に行う。それがたとえ家族であっても。

 

では、サイヤ人はこの「生命尊重」のストッパーがないので、生来的な戦闘を好む性質がエスカレートし、暴力の快感にとりつかれた殺戮集団なのだろうか?

 

ところで、ラディッツが弟であるカカロットの態度に対し「わが一族の恥だ!! 死んでしまえ!!!!」と発言するシーンがある。

 

ちょっと待ってほしい。「恥」だって?つまりサイヤ人の倫理規範の世界には「恥」の発想が存在するということだ。作中にも何度か「誇り高い戦闘民族」や「サイヤ人の誇り」などの発言が登場するが、カカロットのように侵略先で原住民と馴れ合って、他者の命を奪うことをためらう人物は「恥ずかしいサイヤ人」なのである。作中で何度もカカロットはほかのサイヤ人からサイヤ人の面汚し」「裏切り者」と呼ばれている。

このことはサイヤ人の王子ベジータカカロットを「てめえの甘さにはヘドが出る」「ばかやろう非情になれ!」と非難するシーンからもうかがえるが、”他存在の命を奪うことに一切の躊躇をせず、戦闘している相手に情けをかけないこと”はサイヤ人の美徳・倫理規範なのではないだろうか?

 

サイヤ人は他の星を侵略することを生業としているため、基本的に戦闘はすべて命のやり取りである。戦闘相手に情けをかけてみすみす逃がすようなことは命取りとなりかねず、サイヤ人という民族全体を危険にさらすことにも繋がるおそれがあるだろう。”情を持たないこと”すなわち”敵・侵略対象に情けをかけないこと”が破壊と略奪によって生き延びるための資源を得ているサイヤ人にとってもっとも合理的な態度だとしたら、サイヤ人の残虐性は、単なる生来的な戦闘衝動によるものには限らず、社会的要請から発生していたものだったことになる。

 

”非情であること”はサイヤ人という民族の存続にとって必要不可欠な態度であり、サイヤ人社会に共有された美徳なのではないか。

 

サイヤ人が「生来的に」残虐非道でメチャクチャな民族ならベジータが地球でのちに家族を持ち、自分の妻や子供たちを気にかけるようになることに説明がつかなくなる。ベジータは「穏やかになっていく自分が許せなかった」と語るが、地球での暮らしで上記のような「サイヤ人の倫理的規律」から次第に離れていく自分を自覚して後ろめたさのようなものがあったのかもしれない。いや知らんけど。

 

サイヤ人がわざわざそんな倫理規範を作ってまで略奪によって食いつないでいる理由として考えられるのは、自分の星に資源が少なく民族全体をまかなえないためだと予想できる。ラディッツから「戦闘種族であるため慢性的に少数民族である」等の説明もなされており、自分たちで生産・消費が行えるならばわざわざ他の星を侵略するのはあまりにも危険で合理的ではない。サイヤ人のことなので資源の確保ではなく「戦闘衝動」から外部侵略が始まり、それを繰り返すうちに規範が形成されていった可能性もあるが・・・。ちょっと侵略行為全般について知識がない(何それ?)ので保留します。

 

ちなみにアニメシリーズでも惑星ベジータにどれぐらい資源があるのかについての描写はほぼなく、『たったひとりの最終決戦』でもわかるのはせいぜい空が紅いことぐらいである。

 

 

サイヤ人内の下級戦士差別

さて、最初の方でも少し触れたが、サイヤ人は生まれたときに有していた戦闘能力に従って「エリート階級(上級戦士)」もしくは「下級戦士」に判定され、生涯その階級に縛られるようだ。作中では何度も「下級戦士」「最下級戦士」であるカカロットに対して差別的な発言が繰り返され、特に王子であるベジータが下級戦士のカカロットに持つ差別感情からくる強烈な敵対心や劣等感が印象的に描かれている。なお、サイヤ人の王は(ベジータの父親が王であることから)おそらく世襲制で、ベジータも王子であることにかなりの誇りを抱いており、戦闘種族であることから能力重視社会のようにも思われるが、実際のところ上級の階層には血統主義がかなりはびこっているのかもしれない。予測の域を出ないが。

 

「下級戦士」については、『地球まるごと超決戦』に登場するサイヤ人ターレが重要な発言を多く残している。

ターレスはカカロットとほとんど同じ顔・髪型・体格をしたサイヤ人で、そのことについて「俺たち使い捨ての下級戦士はタイプが少ない」という発言をしている。これは上記の血統主義ゆえに下級戦士同士でばかり交配して多様性が失われているからなのか、それともたとえば下級戦士は人工授精で大量生産されているからなのか。とにかく「下級戦士」は”使い捨て”であり、戦闘中心のサイヤ人社会においてあまり生命の尊重だとか、生存権の保障だとかを受けていなさそうなことがうかがえる。

ターレスは下級戦士の出であるが、星のエネルギーを吸い上げて成長する「神聖樹の実」を各地の星に植え、それを食べることで戦闘能力を高め、やがて「全宇宙をひざまずかせてみせる」という野望を抱いている。カカロットをコテンパンにしたのち自身も下級戦士でありながら「しょせん下級戦士、無様なもんだ…」と吐き捨てるが、おそらくターレスも神聖樹の実に出会う以前には「しょせん下級戦士」と言われ続けてきたはずだ。自分よりも戦闘能力の劣るカカロットに自身が受けてきたであろう加害行為をはたらく様子はターレスのコンプレックスを痛々しくも鮮明に描き出しているといえるのではないか。ほとんど僕の妄想ですけど。

 

迫害されている社会的弱者が自分よりさらに弱い存在を見つけ、自分の受けてきた迫害行為をそっくりそのままその者に行う、この暴力の連鎖がやたらリアルなので『地球まるごと超決戦』はかなり好きな作品である。ちょっと雰囲気が暗く地味といえば地味なので結構マニア向けな気もするが。

 

サイヤ人の親殺し文化

民族内の下級戦士差別とは関係ないが、ターレスのサイヤ人に関する発言に「子供が親を殺す、それがサイヤ人だ」というものがある。同様に、『燃え尽きろ!!熱戦・烈戦・超激戦』でもパラガス「自分の子供に殺されるとは、これもサイヤ人のさだめか」と自らの死に際に発言している。

 

サイヤ人の”文化”において親殺しが一定の伝統的風習としての性格を有した行為だったと仮定すると個人的には興奮する。老い先短い親よりも将来性のある優秀な戦士のみを社会に残すという発想なのだろうか、とか。僕の仮定しているサイヤ人(僕の中の「サイヤ人像」)は、とことんまで弱者にとって「地獄」の社会を形成していると言える。サイヤ人にとっての合理性とはすなわち、資源を強者に集中させ、使い物にならない弱者を切り捨てることなのではないか。

 

なお、これらの作品が制作された当時は「サイヤ人は戦闘を長く続けるために若い時代が長い」という設定はまだ登場していない(この発言自体は原作の終盤のベジータによるもの)ので、この発言の裏で想定されているサイヤ人は地球人同様ふつうに老いるのかもしれない。

 

あとこれはもう一段階上のキショい妄想だが、親殺しの風習が伝統なら、王位の継承も王と王子の決闘とかだったら興奮する。僕が。

 

 

サイヤ人的親子観

親殺しついでに(?)言及すると、『ドラゴンボール』シリーズには「父親のサイヤ人」が多数登場する。カカロットの父親バーダックベジータの父親ベジータブロリーの父親パラガス。そしてベジータカカロットだ。母親は『マイナス』発表に至るまで一人も登場していない。そもそも登場する中で名前の公表されている女性サイヤ人は『たったひとりの』に登場するバーダックの同僚・セリパのみだった。

サイヤ人の男女比率に関してはいろいろファンの間でも異なった意見がみられるが、(作中で描写されたことありましたっけ・・・?)それらにだいたい共通しているのは「女性が少ない」ということなのだが、出典は一体どこなんだろうか。 ご存知の方はぜひ教えてほしい。

 

さて、この父親サイヤ人五人を見ていきながら「サイヤ人の親子関係のあり方」について検討しようと思う。

 

まずバーダックだが、先ほども書いたように『たったひとり』では生まれたてのカカロットのネームプレートを「か、か、ろ・・・っと?」と読み上げ、「戦闘力たったの2・・・。クズが!」と吐き捨てて走り去る。死に際にカカロットサイヤ人の宿敵フリーザに立ち向かう未来を予知して「このオレの遺志を継げ!」とかなんとか言うが、言ってしまえば個人的な意志の押し付けであってカカロット本人の意向を尊重する発言ではない。『たったひとり』版のバーダックカカロット個人にはわりと無関心だ。それどころか、弱者や下級戦士に対する軽蔑をむき出しにする。なお、カカロットの母親に意識を向ける描写は一箇所もない。ちなみに、『マイナス』以前では、惑星ベジータでのサイヤ人の「夫婦」や「生殖」「恋愛」についての描写がほとんどないため、それらに対する価値観や実態は一切不明。『たったひとり』において食堂で男性サイヤ人が女性サイヤ人の肩を抱いているカットがあるぐらい。

 

つぎにベジータ。『燃え尽きろ!!』では高い戦闘能力を持って生まれたブロリーが、息子であるベジータ王子の地位を将来的に脅かすことを危惧し、ブロリーの父パラガスに「ベジータ王子の助けとなる優秀な戦士に育つだろうから見逃してくれ」と懇願されても「だから困るのじゃ・・・」と言い放ち彼ら親子を抹殺しようとする。

この行為は王子の将来の安泰を目的にしたものか、「ベジータ王朝」やその支配者である自分の地位の安泰を目的としたものかという問題が出てくる。ベジータ王の即位のタイミングがいつであるかやどのような手続きを経るのかなどは作中描かれなかったのでいまいちわからないが(息子のベジータが王に即位することでベジータ王本人に何かしらのメリットがあったのか否かが不明)、王子の将来を多少気に掛けた行動であったことは否定しなくてもよいだろう。まあ、よくいるよねこういう王様。

 

『燃え尽きろ!!』でのパラガスは、ブロリーの命を救うためにベジータ王に直談判して親子もろとも抹殺されかける。大けがを負い瀕死に陥ったパラガスがブロリーもろとも「ゴミのように捨てられた」シーンでは、パラガスが地面に倒れながらも幼いブロリーの手を握っている描写がある。この時点でパラガスはめちゃくちゃ息子想いなパパだ。惑星ベジータの爆発から奇跡的に難を逃れ、パラガスはブロリーを一人で育てようとするが、「サイヤ人そのものだった」ブロリーの気性の荒さと戦闘能力の高さに次第に恐怖を覚えるようになり、科学者に戦闘能力を自在にコントロールする装置を開発させ、ブロリーの力を自由に操ることに成功する。しかし、ここで急に「全宇宙を支配できる力を手に入れたのだ!」とかほざいているので、強大な軍事力であるブロリーを手中に収めたあたりから自分の欲望がむくむくと育っていってしまったのではないかと思われる。うーん、まあ、“気の毒な境遇の普通の人“だな。好きです。「俺とブロリーの帝国は永久に不滅になるというわけだぁ!」とか言っちゃうパラガスはかわいいよね。

 

ここまで書いて、「あれ???サイヤ人って結構ふつうに子供のことを気にかけているのでは?僕が『マイナス』で受けた衝撃は、『たったひとり』版バーダックの個人的な「最低さ」が変更されてしまったことが原因であって、冷酷なサイヤ人像なんてものは実は揺るがされていなかったのでは???」という気持ちになってきたが、待ってほしい。王の行動を一般サイヤ人家庭の親の子供に対する愛情と同列に評価するのはちょっと無理がある。まだ、バーダックVSパラガスの構図。ひきわけ!あと、まだベジータさんとカカロットさんがいます。必死かよ。

 

カカロットは地球育ちであり、サイヤ人が共有していた(と僕が勝手に思っている)倫理世界には生きていないが、一方ベジータはバリバリのサイヤ人倫理世界の住人である。なんたって王子。関係ないかもしれんが。

 

原作29巻(人造人間編の序盤)では、戦闘で発生した爆風に巻き込まれたブルマを助けなかったことで、トランクスがベジータを非難するシーンがある。

なぜ いま あなたは助けなかったんですか!?

あなたの奥さんや子供でしょう…!

 

くだらん……

オレはそんなことに興味がないんだ

鳥山明ドラゴンボール』29巻151頁・集英社

やはり。サイヤ人の倫理世界(と僕が勝手に思っているもの)(ベジータ個人の価値観かもしれんやろ!)には「パートナーや子供の生命への関心」という発想がほとんど存在しない。ベジータとブルマのなれ初めが今のところかなり謎に包まれているのでこの時点でのブルマを「パートナー」と呼称していいものか疑問だが。

 

このようなベジータのブルマとわが子への「冷たい」態度は人造人間編でじわじわと軟化していく(たぶん)が、人造人間編終盤でわが子トランクスが殺された瞬間激昂するシーンが決定的なものとなり、魔人ブウ編では息子に対し「遊園地に連れて行ってやる」とか言い放つようになる。すっかり地球に”毒されてる”のであった。(のちにベジータは「知らないうちにきさまたち(カカロットと地球人たち)の影響を受けておだやかになっていく自分が気に入らなかった」と発言しているため、サイヤ人の倫理規範を外れていってしまう自分をサイヤ人的規範からネガティブに評価していた面がある)

 

そうなのだ。僕が再三主張している「サイヤ人的倫理規範」では、「冷酷で残忍」であることがもっとも「良し」とされ、自分の兄弟や子供であっても他者に「くだらん情け」をかけることは「なさけない」「甘っちょろい」のである。確かにパラガスのように、ベジータのように、親から子に向けられた愛情は”存在”しうるのだろう。しかしそれは倫理規範に照らしてみると「おかしいこと」ということになる。

 

ところで、カカロットさんは、サイヤ人編初期やアニメオリジナル描写でこそ「ごはーん!」とピンチに陥った息子・孫悟飯を本気で心配してなりふり構わず助けに行くシーンがちょいちょいみられるが、実はかなり合理性重視でドライな発言が多い。地球を救うために最善の策はこれしかねえ!つって子供に戦わせるし自身も身をもって地球を守る。(その代わりに界王星は爆発する。わりい界王さま…)かと思えば一方で複数人で戦えばいいものを「一人で戦ってみてえんだ」とか言い出す。これはサイヤ人の倫理規範は関係なく、サイヤ人の戦闘を好む本能(とされるもの)と本人の倫理感覚・性格の問題かと思う。優しそうな雰囲気してるくせにクールで危険な悟空さが好きです。

 

 

余談『レジェンズ』のサイヤ人

ところで完全に余談なのだが、2018年に配信開始したスマホアプリドラゴンボールレジェンズサイヤ人描写が個人的にけっこう好きなので紹介する。この記事はサイヤ人へのラブレターなので。

当作品にはベジータカカロットたちよりももっと前の時代に生きていた古代のサイヤ人シャロットが登場する。彼はこのアプリのオリジナルキャラクターで、記憶喪失に陥っており、彼が自らは一体何者なのか、己のルーツを探りつつ冒険するというのがストーリーの概要。ベジータの口からサイヤ人の歴史がぽつぽつと語られたり、ターレが重要な敵として暴れまわったりとサイヤ人についての描写が非常に多い。

 

作中でベジータがこんな発言をする。

サイヤ人もかつて善だの悪だの…その在り方について争った歴史があった」

「…だがそれは穏やかな話し合いなどではない 派閥同士のつぶし合いだ…」

「…結局サイヤ人は正しかろうが 悪かろうが 闘って潰し合う方法しかとれん …そういう種族だ」

「善だの悪だの」というのは、他の星に侵入して破壊と略奪・殺戮を行うことへの是非を指すだろう。この略奪主義ともいえるサイヤ人の在り方に、内部から疑問が投げかけられたことがあるらしいことが示唆される。民族内でイデオロギー衝突?が起きた際も民族内で武力行使が起こり滅ぼしあってしまったという歴史的事実についてベジータから「暴力的なサイヤ人の特質」として語られるのだが、サイヤ人の暴力大好き党の僕は大興奮してしまった。イデオロギー衝突で武力行使が起きるのは割とどこでもあるとは思うんですが…。「どんなときも結局暴力に突き進んでしまうサイヤ人」というサイヤ人への評価。シュキピ。

 

また、フリーザ軍の戦闘員ギニューがサイヤ人エリート戦士であるナッパに対してサイヤ人らしい不器用で血なまぐさい優しさだ」という発言をするのだが、えっギニューさんはサイヤ人の何をご存じなんですか?!ちょっとご飯行きませんか?!サイヤ人のお話聞かせて。

サイヤ人は“裏切り者“や“弱者“を排除するなどどちらかといえば「民族全体主義的」であって、どうも個人に対する”温情”やら”優しさ”やらとは離れている気がするのだが、当作品のナッパのように人によっては”仲間思い”な面もあるかもしれない。民族全体主義であることと「同族」と認めた人物を尊重することはなんら矛盾しない。特にナッパは原作でもラディッツのやつを生き返らせてやろうとしてたしな。本人が自力で立ち上がれないほど負傷した際、つまり、「弱者」に転落した際にはサイヤ人倫理規範に厳しいベジータによって「動けないサイヤ人など必要ない!」と一瞬で消されてしまうのだが。

 

(そう考えると『ドラゴンボール-』で俺がショックを受けたのはやっぱりバーダックの明らかなキャラクター変更が主たる原因なんだろうなあ・・・。)

 

最後にもういっちょ。今作でのターレスとシャロットの会話を取り上げる。

シャロット「・・・てめえに会った時からしてたうさんくせえニオイの理由が 今になって やっとわかったぜ・・・!」

ターレス「・・・なんだと・・・?」

シャロット「・・・てめえは・・・サイヤ人としてズレてんだよ・・・!」

ターレ「・・・!!!」

最後のセリフはゲームの本編でもちょっとフォントが大きい。シャロットの指摘にターレスがめっちゃびっくりしている。

 

この会話シーンでは、裏切りや出し抜きによって潰し合う混沌とした闘いこそがサイヤ人の好む、「サイヤ人らしい」闘いであると主張するターレに、シャロットがそんな「キタネエ闘い」はサイヤ人であるベジータやナッパも望んでいなかった、と反論する。その指摘を受けたターレスが大いに動揺しているのが上記に引用した部分だ。

どうやらターレスがいつの間にか「サイヤ人らしさ」をはき違えていたということを示すシーンなのだが、この後にシャロットとの戦闘を終えて「久しぶりにサイヤ人らしいただの闘いができた」と語っていることから、今作で想定されている「サイヤ人らしさ」は僕の主張する「生来的に戦闘を好む性質」そのもののことで、裏切りや出し抜きはサイヤ人らしくないらしい。

 

しかし、実際のサイヤ人の生業である侵略行為では裏切りや出し抜き行為が常態化している気がするのだが違うのだろうか・・・?民族全体主義だとするとカカロットのような「民族に対する裏切り」には厳しい気がするが、たとえば敵を欺く行為はどうなんだ・・・?もう侵略対象には信頼を前提とする取引なんて全く行わず「ハイ!はじめまして!今から侵略します!絶滅よろしく!」って感じなのだろうか。なんかそんな気もしてきた。そもそも他民族を自民族と同じだけ尊重する対象として捉えていない可能性も大いにありうる。なんたってただの侵略対象、「ゴミめ!」なので。

 

レジェンズ』はまだまだ「サイヤ人らしさ」について掘り下げてくれそうなので、わくわくしてストーリー更新を待ってるぞ。今ちょっと追えてないけど・・・。

 サイヤ人とはまったく関係ないが孫悟空が過去の時代からやってきたブルマに「悟空さん」と呼ばれ「オラのことは『孫くん』でいいって・・・」と居心地悪そうにするシーンがある。かわいい。

 

 

被差別種族としてのサイヤ人

さて。そんなこんなで誇り高き暴力集団サイヤ人なのだが、フリーザ軍の兵士たちからは「サル野郎」と呼ばれ蔑視されている、なんて描写も登場する。

これはサイヤ人が満月を見ると大猿に変身することに由来する呼称だと考えられるが、おそらくは黄色人種および日本人に対する差別用語「イエローモンキー」を意識した差別表現だろう。またサイヤ人ごときが」「たかがサイヤ人がそんな高い戦闘能力を持つはずがない」「低俗なサル野郎」「気に食わない連中」などなど民族全体をかなり見下した表現が多数見受けられる。

これらの発言がいったいサイヤ人の何をもって「低俗」としているのかは作中からはいまいちわからないのだが、作品によってブレがあるものの(もともと「サイヤ人」と別に高い科学技術を持つ「ツフル人」の二つの民族が一つの星に共存していて…という設定は有名)フリーザ軍が惑星ベジータにはもともと存在しなかった優れた科学技術を有していて、当初比較的原始的な生活を行っていたサイヤ人のことを揶揄して「サル」と呼んでいたのかな、なんて想像したりする。「少数民族」という発言もあるので、サイヤ人フリーザ軍の中ではマイノリティだった可能性もある。

 

 

最強の戦闘民族と宇宙で恐れられる一方で、より強大な軍事力を持つフリーザ軍に無理やり配下にされ、差別を受け、誇りを傷つけられながらフリーザの命令通り手となり足となり働き、最終的には滅ぼされてしまったサイヤ人

こう書くと結構悲劇的なのだが、この“物語”の醍醐味はやはりフリーザも指摘するように「サイヤ人も同じことを行なっていた」ことに尽きる。「弱肉強食の世界」では、強者として猛威を振るっていようと、より強い者の出現にはなすすべもない。戦闘・略奪史上主義社会が本質として有しているもろさ・危うさが表出する。

 

 

 

 

地球で育ったカカロットサイヤ人をこう評価する。「だから滅びた…」と。

 

 

  

 

 

 

しかし、『超ブロリー』は最高だった(感想)

 

「だから滅びた」もろい社会構造のサイヤ人、でも実はそこまでもろくなかったみたいだよ~けっこう弱者保護の発想とかあるみたいだよ~

 

とか言われたらもう泣きながら劇場から出て行ってやる。

 

なんて思っていたら12月14日、ついにドラゴンボールの新作劇場版であるドラゴンボール超(スーパー)ブロリーが公開された。

さっきも書いたが公開日の次の日に観た。

 

そして12月31日現在、もうすでに4回観に行きました・・・

4DXと通常上映二回ずつ。いやーーーー。『超ブロリー』最高だね。

年明けの応援上映もぜひ行きたい。東京じゃないけど地元のやつ。

 

以下に「サイヤ人観」というか「惑星ベジータでのシーン」を中心に感想を書いていこうと思う。ダラダラと読みにくいが、感想をあまり書いたことがないので許して。

繰り返すがドラゴンボール超ブロリー』本編のネタバレの宝庫なので注意されたし。

 

 

まず最初に、絵柄がとても良かった!!これはファンの共通認識だと思われる。均一になりがちなデジタル作画の線をセル画を用いたアニメの雰囲気に近づけるために、なんか、いろいろ、したらしい(無知)。詳しくはパンフレットのインタビュー参照。本当にありがとう・・・。昔の劇場版を見ているようでほんとうに嬉しかった。最初のシーンで絵柄がいつもと違うのに気づいて「もうこの絵ならサイヤ人像が揺らいでても好きになっちゃうかも・・・」とか思った。それぐらいよかった。

 

そして冒頭、爆発前の惑星ベジータの様子がついに映像に。僕の緊張MAXである。

フリーザ軍が誕生し、フリーザがデモンストレーションを行ってサイヤ人たちに圧力をかける。なるほどなるほど・・・。フリーザ軍の支配をまっっったく歓迎していないベジータ王のシーンが続く。いいぞいいぞ!さすが誇り高き戦闘民族の王!!

 

そんななか、ベジータ王(3世)が生まれたばかりのブロリーの圧倒的な戦闘能力がベジータ王子(4世)の地位を脅かすことを危険視し、辺境の星に飛ばすことを決定する。ベジータ王が息子をめちゃくちゃ可愛がっていて面白い。フリーザによる支配がよっぽど屈辱的なのか、そして息子がめちゃくちゃかわいいのか・・・(絶対両方)ブロリーの追放を知らされたパラガスが「王子より高い潜在能力を持つブロリーに嫉妬し、亡き者にしようとしている」と指摘する。

 

ところで、オリジナル版『燃え尽きろ!!』でもそうなのだが、「もしサイヤ人が戦闘能力至上主義なら強い者を血統に関係なく支配階級に置くことにはなんら疑問を持たないのでは?」という疑問がわく。じっさい、『超ブロリー』で育児ポッドの部屋でベジータ王と会話をするサイヤ人たちは天才的な潜在能力を歓迎するような発言をしているし、作業員が独断でエリート用の育成ポッドを使わせてやっていることからも戦闘能力に応じて優遇することに疑問はないという考えが伺える。だが、ベジータ王がどうやら世襲制であることと、原作本編に散見される血統orエリート主義から、階級が上に行くほど、民族全体の戦力を増強することよりも、自己の地位を保持し、それを脅かす存在を排除することに意識が回っているような気がする。外部に対して民族の誇りを維持することより内部秩序における保身、が勝っているということか・・・?まあ地球人からすればめちゃくちゃわかりやすいが。これに関してはベジータ王個人のキャラクターのような気もする。

 

さて、ベジータ王の追放決定に対して、ブロリーの父親パラガスが抗議するが、ブロリーを乗せた宇宙船は既に発射されていた。記事の中盤にも書いたがパラガスは『燃え尽きろ』『超ブロリー』に共通して序盤ではけっこう”息子想い”のサイヤ人である。『超ブロリー』では息子が過酷な星に追放されたと知るや否や大急ぎで宇宙船を発進させて救出に向かい、一刻も早くブロリーを救出するために危険を顧みず嵐のなか強行着陸する。

 

救出に向かう宇宙船にたまたま居合わせてしまったサイヤ人ビーツが同行しているが、このビーツのキャラクターがまた最高である。本人いわく「戦闘員じゃない」らしく、大猿にもなったことがないという。非戦闘員のサイヤ人、しかも名前が付いているのはサイヤ人描写として画期である。

ぜったいに社会的弱者だ。まちがいない。これは妄想。根拠はない。ごめんビーツ。自分の中にある「弱者にとって地獄のサイヤ人社会」に「非戦闘員」という新しいパーツが加わって喜んでるだけです。本当にすいません・・・。『超ブロリー』本編に非戦闘員が社会的に差別的な処遇を受けているような描写はとくにない。ざんねん。(ざんねん?!)(過酷な社会の描写を勝手に期待して勝手に残念がるな)

 

ブロリーを探索する中で、ビーツの「信用してくださいよ」という発言に対してパラガスが「ふん、信用できるサイヤ人などいるのか?」と応える。個人的な大興奮ポイント!少なくともパラガスの中でだが、サイヤ人は一般的に信頼関係を積極的に維持することがないということが読み取れる。なるほどなるほど。『レジェンズ』でターレスが発言していた「裏切り・出し抜き・・・」が普通にあったことになっている。同時期に制作されている派生作品なので矛盾するのは仕方ない。

無事ブロリーを発見できたパラガスだが、暴れるブロリーの両腕をつかんで宙づりにしたあげく弱点である尻尾をつかんで宙づりである。なんちゅうことするんじゃ!!!!!!サイヤ人の標準的な抱っこなのかそれは?!

 

乗ってきた宇宙船で星を脱出しようとするが、宇宙船が故障してしまう。ここで食料の確保のために何のためらいもなくビーツを殺害してしまうパラガス。パラガスのほうがビーツにとって「信用できないサイヤ人」だったのは皮肉である。このシーンでパラガスは、ビーツが非戦闘員で「役に立たない」から切り捨てた、と取ることもできるかもしれない。

 

 

場面かわって5年後。『マイナス』を基盤とした、バーダックの惑星ベジータ帰還から惑星ベジータ爆発までを描いたシーンだ。

バーダックフリーザからのサイヤ人への急な帰還命令に不信感をいだいていることや、帰還したバーダックが妻ギネのもとを訪れ、カカロットを地球に飛ばすことを提案するシーンは多少のセリフの追加はあるが筋書きはほぼ『マイナス』のままである。

 

どうでもいいがギネの「(カカロットは)あんたにそっくりだろ?特にこの独特の髪型がさ!」で”下級戦士はタイプが少ない”の設定がなかったことになるのでそれはちょっと寂しい。ってターレスが言ってました。

 

ただ、『マイナス』でのバーダックのキャラクター変更の衝撃を和らげる措置(と俺は取りました)がふんだんに施されていてめちゃくちゃ感動してしまった。ほんとうに・・・ほんとうにありがとう!!!!!!!!!!!!!!!!!

カカロットを夜にこっそり宇宙に飛び立たせるシーン。もう物悲しいBGMから惑星ベジータの美しすぎる夜空からギネの「カカロットー!!」の悲痛な叫びから何もかもが泣かせにかかってきており、もう四回観て四回ともアホほど号泣しているのでスタッフさんはマジで責任をとってほしい。好きです。

ギネの「男が子供の心配をするなんてサイヤ人らしくないよ」という発言がある。原作『マイナス』では「あんたが子供の心配だなんてサイヤ人らしくないよ」なのだが、「男」に一般化することで「サイヤ人の男は基本的に育児に関わらない」というジェンダーロールが可視化されている。これ、興奮ポイント。

そのギネの言葉に対するバーダックの返答が最高だった。「いつも戦いの中にいて、気まぐれに何かを救いたくなったのかもな。特に下級戦士と判定された・・・我が子を」というセリフ。原作では「おまえの甘ったるい病気がうつったんだ」で割とサラッとしているのだが、映画版ではサイヤ人の日常の猟奇性がちらっと示されたのと、バーダック本人の口から自己の行動への「サイヤ人らしくない」という評価が聞けたのでもう僕は彼を許さざるをえなくなってしまった。(何様?)だいたいもう泣かされている時点で完全に敗北しているのだが・・・・ゆるさない・・・・・・・・本当にありがとう・・・・・・・・。

 

号泣していると矢継ぎ早に『たったひとり』のオマージュシーンが出てきて心がめちゃくちゃになってしまう。今作は基盤となるアニメオリジナル作品である『たったひとり』『燃え尽きろ!!』のオマージュがちらほら出てくる。ファンサービスがとても行き届いている・・・。最高。ありがとう。岩盤のシーン爆笑しました。

 

惑星ベジータ消滅後、若いころのナッパ・幼き頃のベジータラディッツと大人のサイヤ人男性二人が登場。惑星消滅の知らせを聞いて動揺する大人たちだが、ラディッツは「帰還命令無視しといてよかったっすねー!!!」と言い放つ。おま、おまえ、家族が死んでるんやぞ!!みたいな視線を向けるナッパたちだが本人はケロッとしている。ベジータも同じく、「チッ!ベジータ王になり損なったか。」と発言。大人たちが「そういやお前たち弟がいただろう!」と指摘するが、「あ~。そういやあいつどうしたんだろうな?まー。興味ないな!」「カカロットですか?あいつは下級戦士って判定だったから、育成カプセルの中ですよ!みっともない!そういや母さんからポッドで飛ばされるって連絡があったか。まー、どーでもいーっすけどねー!」大人たち「おお・・・。」

 

このシーンが興味深いのは、大人たちの、民族が消滅してしまったこと、家族が死んでしまったことに対する反応と、子供たちのドライな反応とが明らかに視聴者の目に対照的に映るように描かれていることである。なのであるが、僕には・・・意図が・・・よくわからない・・・。サイヤ人の子供は大人よりも他者に興味がないのか?幼少のうちから戦闘員として戦場に行くことが影響して精神の発達が遅い・・・とか?「厄介な奴」であるベジータとそれに影響されたラディッツサイヤ人の中でも特に“クセのある感覚の持ち主“であることを示しているとか?謎だ。ラディッツの「みっともない!」はやはり下級戦士に対する蔑視だが、もうすでにラディッツに下級戦士に対する差別感情がしっかり定着しているようである。興奮ポイント。なお、このシーンを子供なりの「強がり」と捉えることもまあ不可能ではないと思う。僕にはよくわかりません。

 

どうでもいいがこのシーンでラディッツが口を開いた途端映画館で隣の席に座っていた女の子が「ピラフやん!!!」と叫んでいた。そうだぞ。

 

 

と、惑星ベジータおよび『マイナス』に関連するシーンはこんなところである。このあと、CHALA-HEAD-CHALAに合わせて(最高)流れるように場面が切り替わり、場面は一気に現代へ。

 

ここからはすっかり地球になじんだベジータと地球育ちのカカロット、そして辺境の星で父親と二人っきりで育ったブロリーとその父パラガスしか出てこないのでサイヤ人の”文化”に関する描写はない。しいていうならここからはサイヤ人の”本能”、すなわち彼らの”戦闘衝動”をめぐる話になってくる。

あと圧倒的に戦闘。戦闘の次に戦闘。そのまた次に戦闘。今作の戦闘シーンは間違いなく過去最高の出来です。ツイッターのフォロワー氏曰く「宇宙が誕生した」

マジでこの作品は後半の畳み掛けるように押し寄せてくる戦闘シーンでアドレナリンが出まくり記憶が飛びまくるので何回も観に行ける仕様になっている。最高です。本当にありがとうございます。

特に4DX上映がおすすめである。ドラゴンボールのキャラクターが気を高めることで起きるおなじみの地響きをまさか体感できるなんて思ってなかった。出張型ユニ●ーサルスタ●オジャパンかよ。いちいちめちゃくちゃ疲れるので戦闘の合間の会話パートは次の衝撃に備える時間。とにかくすごい。超おすすめです。

 

『超ブロリー』版のブロリーとパラガス、カカロットベジータについての感想はまだまだ全然まとまらないので割愛するが、これだけ。超サイヤ人神(ゴッド)に変身したカカロットをコテンパンにのしたときのブロリーの笑顔と、父親を殺されて超サイヤ人に覚醒するときのブロリーの悲痛な顔がめちゃくちゃ好きです。以上です。

 

 

 

あとカカロットの最後の決め台詞は本当にずるい・・・責任とって・・・・・。

  

 

 

 

 

 

映画公開を記念してか、雑貨チェーン店の「ASOKO」でドラゴンボールのコラボをやっていた。

prtimes.jp

白目むいてるムキムキマッチョマンの顔がかわいくプリントされたトートバッグがこんなにたくさん雑貨屋の店頭に並んでるなんてなんていい時代になったんだ・・・?!と謎に感動してしまった。

 

 

 

ドラゴンボール超(スーパー)ブロリー』。

とにかくサイヤ人の残虐性を真っ向から否定するものではなくてひと安心した。ほんとうに安心した。ありがとう。ありがとうベジータ王。ありがとうパラガス。ありがとうビーツ。ありがとうブロリー。ありがとうバーダック。ありがとうギネ。ありがとうカカロット。ありがとうベジータ王子。ありがとうラディッツ。ありがとうナッパ。ありがとうその他サイヤ人。ありがとう鳥山先生。ありがとうアニメ制作者の皆さん。

 

一方でアニメ『ドラゴンボールZ』シリーズほど残虐性の直接的な描写があったわけではない(サイヤ人が「地上げ」している描写はラディッツベジータナッパの会話シーンでその辺に転がっているトカゲ風宇宙人の遺体のみである。『マイナス』では少なくともバーダックがヤコンっぽい宇宙人を蹴っ飛ばしているコマがあった。)ので、ぜひ次回作ではターレスあたりを出してあちこち暴れ回らせてやってほしい。なにとぞお願いします。なにとぞ!

 

 

 

サイヤ人を愛しています。これからも愛します。一生愛します。

 

 

 

おしまい

 

 

ナメック星人もなかなか興味深い設定がてんこ盛りでアツい民族である。まず単為生殖で増えるっぽいところとか、光合成をしてるとか、水だけでいいのになぜか犬歯が発達しているところとか。

 

 

f:id:redcateatsham:20200616024134j:image

これは京都の映画館の「メリークリスマスブロリーになってる階段」

 

 

映画を観てから、むかつくことがあるとブロリーみたいに口からビーム出してすべてを終わらせたいと強く思うようになった。ゲロ吐きつけてるみたいで、相手への嫌悪感を表すのに最適じゃないですか?こっそり「ブロブロゲロビーム」と呼んでいます。(公式では「アンガーシャウト」という名前が付いているもよう)

 

www.youtube.com

 

 

 

ドラゴンボール超ブロリー2』では、レモとチライが「ブロリーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!」と叫ぶシーンで登場してほしいよな。